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zoom RSS 下野国庁跡

<<   作成日時 : 2018/03/29 20:39   >>

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 3月29日(木) 晴れ 気温20℃以上           - 栃木市 -

国庁とは 大宝律令(701年)により確立した律令国家体制における

地方統治の中核として設置された 国府の中心部にあたる

栃木県栃木市田村町に下野国庁という役所があったのは 奈良時代

から平安時代の前半にかけての200年ほどの間です

その頃の日本は唐(現在の中国)にならって作った大宝律令

という法律をもとに政治が行われていた
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 ( 前 殿 )

 上の写真は矢印の場所です
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 コブシが満開
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 他県は元より栃木県在住の人でも まさかここに国庁があったなんて

 知る人もほとんどいないでしょう 現にワシでも知らなかったのですから

 知名度ゼロ ・・・・・・ 

 たまたまあるイベントで知ったわけです
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 ( 正 殿 )

   こんな出来事がありました

 平安時代中期の関東の豪族 平 将門(生年不明〜940)

 桓武天皇の子孫で関東に士着していた豪族の子の平 将門は領土争い

 から伯父の平国香(くにか)を殺害 さらに武蔵国の国司の争いの仲裁に失敗し

 た事が災いして都の朝廷から反乱の疑いを掛けられます この疑いは

 ついに晴れる事なく 将門も国司が自分の収入をふやす事だけに熱心な

 地方政治に以前から不満を抱いていた為に 反乱は現実のものとなりま

 た 平 将門の乱

 将門は国香(くにか)殺害から4年後に常陸国府(茨木県)を襲って国司の印と

 国府の倉庫の鍵を奪いさらに坂東8か国の印鑑を全て手に入れて坂東

 の独立を宣言し 新しい天皇といる意味の「新皇」を名のります しか

 し常陸国府(茨木県)襲撃からわずかに3ヶ月で 国香の子の貞盛と 

 下野(栃木県)の豪族藤原秀郷によって討たれました

 この平 将門の乱は同時期に瀬戸内で起こった藤原純友の乱と合わせて

 「承平・天慶の乱」 と呼ばれています

 将門が下野国(栃木県)の印鑑を国司から取り上げたのは ここ栃木市田村町の

 下野国庁と思われます



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